本日から、イタリア人向けのブルース・モーエン・メソッドのレベル2を開催します。
といっても、イタリア時間での開催になりますので、日本では26日午前3時頃。
イタリア人は全員がシェアをしたがるので、ワークショップの時間は余裕を持って、2日半。
日本のワークショップとの違いは、
- 日本人が遠慮がちで自分自身のシェアをしたがらない人が結構な割合でいる
- シェア内容も非常に短くまとめてしまったりする人が多かったり
- 質問を遠慮してしまう人もいる
などのために、ワークショップ自体はサクサク進むのですが
ワークショップのその場での理解が深まらない原因でもあるのかな、と思ったり。
トレーナーの側で、積極的に受講生の発言を促してゆく必要はある感じですが
対するイタリアは
- シェアしたくてたまらない。必ずシェアしたい。いや、むしろそれが権利
- シェアは子細で、体験に基づいて端折らずにすべてを語る
- 誰かのシェアも聞きたくてたまらないし、そことの共通点を見つけたり、得るものを期待している
- その場で少しでも疑問を感じたり、わからないことは小さなことも質問する
という感じ。
以前、日本人とインドヨーロッパ語圏の人の違いを聞いたことがあって、文化や歴史や国民性の違いもあって
日本人は、誰かの話を聞く時、相手の主張を丸々自分の中に受け入れて、一度自分の中に落とし込んでから、自分自身の考え方と突き合わせて、それに対する意見を言う
(農耕民族で、様々な思想・文化を受け入れて自分のものにしてきた国であり、そして、外国に支配されたことがあまりないという背景が原因)
インドヨーロッパ語圏の人は、誰かの話を聞くときに、相手の話を聞きながら、逐次、自分自身の考え方と突き合わせて、差異を見つけて、それに関してディベートしてゆく
(もともとは狩猟民族・遊牧民であったし、民族の移動・侵入を経験し、常に他国と戦ったり、侵略・支配を受けたことが原因)
ということらしいので、どちらがいいとか悪いという話ではないけれど
イタリア人のように、活発なシェアや質問があるというのは、ワークショップでの説明項目の規定以外の話もトレーナーから引き出したり、受講者同士の様々な経験や考え方を聞く機会があるということだから
自分以外の視点を知るという面でも、検証の面からもよい風には働いているのかと思うのです
私はよく、【厚顔無恥になる】ことを勧めているのですが
ワークショップの中では、恥をかき捨てる、違っていても当然のことだから堂々となんでも言ってみるのが、上達のカギなのではないかと思ったりもします。
Youtubeチャンネルでは、私の自己紹介と、チャンネルで公開する動画の基本方針、スピリチュアルな考え方に関してお話している動画を新しくあげています
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