体験できないということが学びだった

先週から、イタリアでブルース・モーエン・メソッドのレベル3のワークショップを2週間にわたって、週末に開催しています。
イタリアでワークショップを開催すると言っても、Zoomで日本とイタリアをつないで、オンラインで行っていますので、時差はありながらも、私自身が肉体的にイタリアにいるわけではありません(笑)

参加者はイタリア全土から、そして、中東に仕事で滞在中の人、そして、私は日本からと、世界中のイタリア人とつながってワークショップを開くなんて、Covid-19以前から考えると、想像できない変化であるように思います。

ワークショップは時差の関係で、日本時間では午後16時に始まって、深夜1時過ぎに終了というスケジュールです。
少し遅めに起きてきて、外出をし、帰宅後、夕食前からワークショップを始める感じなので、睡眠時間の調整が難しいような感じ。
終わった後は、ちょっと疲れたなぁって感じ。

でも、参加された方々の体験は、体験できた人も感動的なものが多く素晴らしかったし
体験できなかった人からのシェアでは

体験できなかったことによって学びがあった(!)

という言葉があって、ハッとさせられました。

その方は、とても客観的に分析をされていたのだけれど、

  • 体験できないことの背景に、自分自身のそれをブロックするものがあった、それに気が付いた
  • 知覚のタイプが今までとは異なるような形で来ているような感じがして、それを今は身につけなくてはいけないのだというのが分かった

という言葉が出てきて、それが今の自分に必要な学びだっていう風に受け止められていたのです。

ワークショップを受けたり、セッションを受けたりするときって、結果が出ることや、何かを解決できることが重要で
それが必要だと思ってしまいがちだけれど

そして、できないことが失敗であり、それには価値がない、良くないことだと感じてしまう傾向はあるかもしれません

エクサイズや探索の時に、体験が進まない、できなくなって
焦ってしまったり、パニックになってしまったりした経験がある人
もしかするといるのかもしれないけれど

する人は結構いるのではないかと思うけれど
できないからこそ得られるものがあるのかもしれないし
できないというときの気づきって、もしかするととても価値があるのかもしない、と思ったのでした。

結論、結果をすぐに欲しい、出したいという気持ちっていうのはよくあるけれど
心の問題を扱うときに、急ぐ必要はなくて
ゆっくりとじっくりと取り組んでゆくというのもありだし

時には、できないことによって、そこから学ぶこともあるのだ、という視点は必要なんだろうな
そんな風に思った一日でありました

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