2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)
2020年8月7日山形へ
この日、母を病院から退院させ、山形の施設まで一気に移動して、入所の手続きをしてきました。
朝8時半に出発して、到着したのは16時過ぎ
説明を聞き手続きをして、母が部屋に落ち着いたのを確認したのですが
施設の人たちはとても感じがよくて
入所されているかたたちも、幸せそうな感じにも見えて
あずける側としては、安心できるような環境でありました
施設に到着した母の目が開いていて
着替えなどをしたあとも起きていたのですが
私たち家族が声をかけたら、うっすらと涙を流していて
どこまで認識ができているのかわからないけれど
切ない気持ちになりました
私たちのことを認識できていて、自分の状況をわかっているのか
それとも、自分が何者かもわからずに
子供のようにただ、何がこれから起こるかわからずに泣くのか
いろんなことを考えてしまうし
道路で転ばなければ、こんなことにもならなかったと思うのだけれど。
そして、最近の新型コロナの患者数が増加する状況に
面会のルールも変更になっていると直前に聞き
山形在住でない場合2週間山形で過ごした上でPCR検査がネガティブでないとダメと言うことになっていると聞かされ
次に会えるのはいつになるかわからない
下手をすれば、今生の別れになるかもしれない
そんなことのあった日でした。
この日は、車を休憩などを含めて7時間くらい運転し
くたくたでした
でも、移動の間、姉と運転を後退した時
私も母の横についていたのですが、母の眼が何度かあいたり
母の手に触れた私の手に、何か指が動くようなこともあって
移動の間も、私のことがもしかしてわかっているのかもしれないとか
移動しているという状況を把握しているのか、いないのか
複雑な気持ちでいました
移動の直後、母が完全に落ち着くのを見たいので
しばらく山形に滞在することになりましたが
少し前に自殺未遂を起こしていた娘には少し環境を変えることや
息子には思う存分、海水浴や山で遊ぶ体験をさせ
しばらくストレスがたまっていた私や姉も温泉でリラックスしたいと思っていました
母が倒れて一か月、何が起こるかわからないというストレスが最初は続いて
娘の状態も心配でもあり
私の体も限界だったのかもしれません
そういう意味では、完全介護の施設に入ることができてホッとしていたのも事実でした
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