想像力を知覚の手段とする
ということをブルース・モーエン・メソッドでは伝えています
リアルな情報に至るためには、想像力を積極的に使い、その中で【予期せぬ出来事】が起こるのを待つ
ということなのですが
では、その想像力を豊かにすること、強くするのは何なのか?
そのためには、どうしたらいいのでしょうか?
それは
- 感じる力
- 経験を重ねる
- 記憶する能力
- 再現する力
ではないでしょうか。
私たちは自分の感じたこと、経験したことの延長でしか、想像すること、空想することはできません。
なので、
想像力(空想力)が弱い=非物質で発揮できる力が限られる
と言えるのかもしれません。
普段、想像力をあまり使わない人、空想をほとんどしない人は前世療法での体験が薄かったり、できにくかったりする傾向がありますが
それがその原因でもあります。
当然、ガイドにコンタクトする、や、なくなった方とコンタクトする、リトリーバルするなどの経験もしにくい傾向があるかもしれません
I.の【感じる力】は、
日常の小さな様々なことへの注意力
そこから想起される心の動き、感情を取り逃がさぬよう自分で注目する
ことになります
つまり、周囲にあるもの、こと、その他に関するあらゆる情報を感じとること
そして、外から呼び起こされた自分自身の喜怒哀楽に始まり
何かを美しいと感じたり、不快に感じたり…
何かを見た時に感じる感情、感動などをいかに豊かにするか
とも関係あります
この感じるには、五感の訓練、個別の物固有にある感覚を感じ、記憶することも大切かもしれません
少し似た感じで、感じる、の延長に、アンテナを広げる、情報を受け取る、もあります
以前、テレビの番組の中で言われていた、運がいい人、いつも思い通りになる人の特徴として
- 起こったことに関して、ポジティブに解釈する傾向が強い。悪いことの記憶よりも、良いことの記憶が多い
- 視野が広い、注意の範囲が広く、必要な情報がすぐに目に入る
というような話が出ていました。
A.は、日常的に、否定的な考えに囚われずに生活していて、楽しむことが多いというような部分でしょう。
B.は、感じることが特に鋭く、センサーになっていて、見逃しがないということかと思うのです。
普段から、感じることをしていない人は、ここで、すでに、一歩で遅れているわけです。
これは、シンクロを説明するのにも言えるかと思います。
本当は、私達の周りには、皆平等に、チャンスやきっかけの目が同じくらいに、雨のように降り注いでいます。
でも、足元しか見ていない人は、落ちてくるチャンスが見えません。
落ちてきたあとに気がついて、「あの時、こうしていたら…今頃…」と嘆くわけです。
でも、普段から、周囲に注意し、センサーを張り巡らせている人は、落ちてきた時に気がついて、それに対してリアクションするのです。
否定形の話が多い人が、チャンスを逃したり、非物質での体験がしにくいのは、その辺りにも原因があります。
II.の【経験する】は
I.を日々経験してゆく、という部分です
時として、人は毎日決まりきったローテーションワークをしています
その中で様々な感覚を麻痺させています
その麻痺が当たり前になると、感じる心や感覚は薄れ
のっぺりとした毎日の積み重ねになり、記憶は均一化されます
非物質での、微細な感覚をキャッチするセンサーを鈍らせることになります
III.は、経験をしても、記憶されなければ使えません。
どれだけの人が、いろんなことを体験してもすぐに忘れてしまうでしょう。
あの時に嗅いだばらの花の匂い。
あの場所で飲んだワインの味、香り、色…
あの人の髪の毛の感触やキスをした時の感じ…
なんて、記憶は強烈に残りそうですが
昨日の昼ごはんの味や香りはどうでしょう?
記憶は訓練でも、意識することでも変わってゆきます。
IV.【再現する力】=リアルに思い出す力です
記憶したものを、実際に体験した時に限りなく近く思い出せるのが理想です
五感をフルに活用した記憶の再現ができますか?
例えば、昨日飲んだコーヒー。
飲んだカップの形、色、おもさ、肌触り、温度。中に入ったコーヒーの量、見た目の形状、色、温度、香り、味。
細かく小さなことまで、味やカップを口に当てた時の感触や喉を通る感触、鼻に通る香りまで、思い出せますか?
日々、ただ、過ごしているのは、とてももったいないことです。
私たちは普段の行動を無意識でオートマチックに処理していますが、一つ一つの行動を意識することで世界は変わってきます。
前世や非物質の何らかの体験をしたい人は、日々の生活での体験に注意をもう少し向けることや、空想を楽しむことや、様々な自分の感覚や感情を見つめることが第一歩になります。
そして、ここからは具体的に私個人の話になりますが。
私は快楽主義者でありますので。
食べる、飲むは大好きです。
でも、ただ、食べたり飲んだりしてるわけじゃありません。
視覚、味覚、嗅覚、舌触りなど、感覚をかなり駆使しています
料理は分析して何が入っているか、どう調理しているかまで考えてます
料理は日常的にかかわることですが、私にとっては面白いのです。
食べたものを分析して(味覚、嗅覚、触覚など)、どんな素材をどう準備して、どうやって作るのか、考えるわけです。
そうしたら、今度は、自分の体を使って、それを再現する。
それは、リアルな物質世界での行動ですが、非物質でも何かを創造するときは似たようなプロセスを経ています。
非物質では想像で何かを創造するわけですが。
思考の現実化というものは、そんなものなのかもしれませんし、料理ではなくても
スポーツ選手のイメージトレーニングもそういうものかもしれません。
美術品を見るのも好きです
イタリアに住んでいたころは美術館や教会によくゆきました。
音楽も好きですが、クラッシックから、ロック、ジャズ、ラテン、ギリシア音楽、K-pop、アラブの音楽まで、なんでも聞きます。
自然の中に出て、自然の中にある様々なものを見るのも好きだし
町や何かの史跡を回るのも好き
つまりは、色んなことをして、いろんな感覚を味わったり、様々な感情に身を委ねたり、多種多様な経験をするのが好きなのだと思うのです。
それと同時に、空想も大好きで。
ちらっと見かけた情景のその後の展開を勝手に面白おかしく創作したり、なんてことは良くあります。
様々なことへの好奇心や、楽しんで積極的にそれとかかわってゆくことによって
自分自身の経験が豊かに広がり、それによって、想像の世界も広がります
多くのことを経験して知れば知るほど
非物質でとらえた情報の精度は上がってくる
そんな風に思うのです
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