2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)
2020年8月26日納棺師さんに化粧をお願いする
母が亡くなった翌々日は友引だったので、葬儀まで二日空くことになったのですが
亡くなった翌日は、葬儀の方との打ち合わせだとか
急いで家を出てきて、着替えがなかったりもしたので
着替えなどを買いに行ったりあわただしく過ごし
その翌日、26日は朝から、葬儀社のかたと打ち合わせ(見積もりの説明)をしたあと
納棺師の方に母の最後の着替えや化粧をしてもらいました
納棺師というお仕事、なかなか選ぶ人はいないのかもしれませんが
亡くなった後にお風呂に入れて、身だしなみを整え
死後硬直で動かない体に服を着せ
髪を整え
顔に化粧をして、生きているときのように健康的な感じにしてくれる
そんなお仕事で
残されたものにとっては
少しでも身綺麗に生きていたときの感じに戻ってお別れする
気持ちの整理では、大切なのかもしれません
母は闘病生活中に顔の肉が落ちてしまっていて
肌艶も悪くなっていたし
ほっぺたに綿を入れて、ふくよかさを戻したり
口紅を塗ったり
最後に着てもらう服は、家族全員で、母らしい服をというのでショッピングセンターに行って
スーツを見てみたり、いろいろだったのですけれど
エスニック系のお店で、民族衣装的な服を見つけてそれを選んだのでした
母は趣味でフォークダンスをしていたので
赤っぽい花の刺繍がある少し派手な服でしたが
それはフォークダンスでよく着ていたような服だったので、母らしい、ということでみんなでそれに決めたのでした
山形の方では、9割くらいの方が白装束にされるそうですが
白い着物って、なんだかイヤだなぁ、と、私は思ってしまいます
(いかにも、あの世に行きますという感じが好きになれないのです
白い服があの世への旅路への服としてふさわしいと信じている人にはそれでよいのだけれど
私は死後の世界は、カラフルで、自由で好きなようにできる場所だと私は思っているので)
私が死んだときも、白装束は嫌だなぁって思うし
派手な葬式も、お坊さんもいらないと思うから
エンディングノートは用意しておかなくてはいけないかな、と思ったのでした
その日は、そのあと、午後にはすることがなくなり
昼食後、ずっとストレスが続いていたり、あわただしかったので
自然に触れたくなり、以前いきたくて行けなかった遊佐の丸池様まで車を走らせました。
丸池様の看板の説明はこんな感じ
この池は、県内唯一といわれる湧水のみを水源としています。
直径約20m、水深3m50cm
水はあくまで冷たく澄んでおり、水中の倒木さえもなかなか朽ちはてず、まるで龍のごとく池底にひそんでいます。
池自体が丸池神社のご神体で、エメラルドグリーンの水が神秘的と言われています
確かに、とても幻想的な水の色でした
私は水や緑のある場所が好きなので、そういう場所が私の癒しの場所であるように思います
田舎の原風景という感じで
丸池さまの前に牛渡川があって、そこには珍しい梅花藻というのが生えています
澄んだ水の流れに揺れているのがとても美しかったです
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