自分の過去生を知るっていうことに関して。
過去生の中で、後悔とか、想い残しがある場合に、それを知ることに意味がないという考えがあるのかもしれない。
でも、私は、それにも意味があるのだと思っているのです。
ヒプノのセッションの中で、過去生をたどってゆくと、その過去生の中で思い残しが出てくることがあるし
それを調べたりすることもあります。
でも、それを知ったところで、もう、今の人生を生きているから意味がない、関係がないという考えがあって。
想い残しを知る=その想いを今世で果たす、やり残したことをもう一度やる
という風にとらえているのかもしれないけれど。
すごく単純化して考えているのではないかと思うのです。
今までヒプノのセッションをしてきて
過去生の中にある何かが、今の人生の問題とつながっているという場合で
過去生で何かを思い残したとか、後悔したというケースが結構あって
それのせいで、今世で無意識にそれを繰り返してしまったり
それを埋めるための何かをしている時があったりするのです
でも、本人はなぜそれをするのか、理由がわからない。
そのパターンが続いていて、現実の生活に支障が出ていたりして、困っているケースがあるのです。
例えばですが、
過去生である人と恋愛関係にあったけれど、その人と身分の違いなどがあって結ばれることができなかった。
その時、それのくやしさ、哀しさが心に深い傷を残してしまう。
そして、次の人生では、何があってもその人と結ばれたいと思う。
過去生で、大切な人を守ると言ったのに、守れなくて、その人が死んでしまった。
自分はその人を守らなくてはいけなかったのに。
その後悔、罪の意識、哀しさや苦しさ、それらが、何があっても自分はその人を守らなくてはいけないのだと魂レベルに刻まれてしまう。
このような後悔、想い残しは、魂のレベルでの誓約や契約になる時があるのです。
そして、実際にその人の魂を持つ人と出会った時に、不幸な関係にしかならないのに、その人との恋愛をやめることができないとか
その人ではないけれど、同じ関係性の人と出会った時に、自分が不幸になったとしても、自分を犠牲にしても、その人を守らずにはいられない
そんなネガティブな影響を無意識のうちで与えることがあるのです
でも、本人はなぜそうなのか理由がわからずに、人生がうまくゆかないと悩んでいたりするのです。
だから、過去生でのその想い残しや後悔を知ることによって
その部分の自分を解放するプロセスが起こって、状況が変わるということが起こることがあるのです。
過去生での想い残しや後悔を知る、それは無意味ではないのです。
そして、場合によっては、同じことを繰り返すというプロセスが必要な時もあるかもしれません。
過去生と同じことをあるところまでは繰り返す。
でも、あるところからは、それとは異なる選択をする。
もしくは、同じようなシチュエーションの中で、過去生ではうまくゆかなかった部分をやり直して、別の方法を成功させるというのが、必要な時があるのです。
よくある例としては、
過去生では農村の冴えない青年だったが、都会に出て、一旗揚げようと思って、都会に出て行った。
そこで、自分には向かないことを必死にやって、故郷を懐かしく思いながらも、意地を張って、戻ることが出来ず、体を壊して死んでしまった。
今世でも地方に生まれて、都会に出て働いている。
会社はブラックだが給料がいい。
でも、しんどいし、自分には合っていないような気がする。
そして、故郷であまり収入はよくないけれど、充実した仕事のオファーがあって、どちらを選ぶのか。
今、それを問われている状況だったとして。
今回の人生では、都会にとどまらないで、地方に戻るという選択を、過去生を知ることで選ぶことができるかもしれない。
それも想い残し、ですし
人の魂は様々なヴァージョンのいろんな経験をするために地球で転生をしていると考えるなら
- A→B
- A→C
- A→D
というような、ヴァリエーションを試しているのかも、と思うのです。
私自身の話になりますが
私は、若いころに意味も分からないままに、過去生の人格を呼び覚ましてしまって、今の自分と過去生がオーバーラップしている人生を送っているように思うのです。
私の人生は、古代ローマ時代の人生と重なっています。
過去生の中で、トラウマを作って、たくさんの未練とか無念とかがいっぱいあって
それを今の人生の中で取り戻そうとしたのかもしれないとも思いますし
今思えば、その前世の衝動に突き動かされて、若いころから生きてきたように思うのです。
それは意味がないのでしょうか?
私はそうは思わないのです。
全て起こることには意味がある。
私は自殺をしようとしたことを、愚かだとは思うけれど
それがあったからこそ、見えるもの、理解できることがあると思うのです。
前世に引きずられて、イタリアに行ったけれど
それがあったから、様々な人と出逢い、結婚をし
イタリア語を身につけて、仕事にもつながっている
過去生でのガイドとの恋愛に引きずられています
でも、それは私をブルース・モーエン・メソッドのトレーナーにまでしました。
結局、何を選ぶにしても
何をするにしても
自分がその時に正直に生きるのか
その時にその瞬間を生き抜くのか
自分がそれで満足なのか
という部分にかかっているのではないかと思うのです
私は古代ローマの人格を持っています
もしかすると、過去生の想い残しや後悔を知る必要はないと思う人には
それは、今の人生には役に立たない、むしろ、悪影響を与える、価値のないものと思うのかもしれません
でも、私はそれを悪いことも、価値がないとも、役に立たないとも思わないのです
だって、私は今の私の人格だけが私ではないから
私というのは今の私の人生で作られた人格だけの存在ではなくて
それよりも大きな永遠の時間を生きる魂の存在であって
数えきれないほどの側面を持っている存在であって
私はその側面の一つひとつを誇りに思うし
それらを必要な時に呼び出して使うことができるのだと思っているのです
だから、今の私に過去生の自分の人格がオーバーラップすることを
別に問題とは思わないのです
その人格の上に、今の私、もしくはセルフがいて
手綱を握っているのだと思うから
そして、現実では、すべてが夢のようなものであり
遊びのようなものだとも思うのです
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