若い頃に精神世界的なことを追求したことがありました。
その頃に、エドガーケイシーだとかスゥエーデンボルグとかの本を読んだり、聖なる体験とか様々読んだ記憶があります。
オカルト関係の本(錬金術、天使・悪魔系の魔術の本、バラ十字とかも含め)もかなり読みました。
また、小さい頃から本を読むのが好きだったので、古典文学から近代文学、哲学書、歴史書、様々読みました。
一日2~3冊読むときもありました。
けれども、精神世界的なことは、ある時を境に封印してしまったまま、最近まで触れてこなかったのですが。
年を取ってから、またスピリチュアルな世界に触れるようになって。
昔、乱読した貯金で生きてる感じがします(^^)
実は、最近のスピで言われていることは私にとっては新しいことはあまりなくて。
すでに知っていることを確認するのにすぎないことも多々あります。
そういう私が、スピリチュアルなことを学びなおし始めたときに知ったのが、クリシュナムルティ、奇跡のコース、ラストバリアなどでした。
そういうものから思うのは、
【特別】というのは、甘い毒のような危険なものだなということ
私も、サイキックにあこがれる気持ちや、サイキックの言うことはすごいと信じてしまいそうな気持ちはわかります。
でも、サイキックというのは、単なる道具にしかすぎないということを忘れてしまいがち。
どんなよい道具を持っていても、それを使う人の精神にその道具の使い方は左右されてしまうのです。
サイキック=スピリチュアル(霊的に成長している)なのではありません
サイキック的な経験を求める、それは、実は、本来の霊的な進化の道からそれた寄り道ですらあります。
サイキックにあこがれる気持ちや信じる気持ちは、他の人にはない何か【特別】なもの、に惹かれてしまう人間の心の現れでもあります。
人のいきる目的が、元々根源たる存在とひとつであった、完全な存在であったことを思いだし、愛にいきる、ことにあるならば。
- サイキック的なものを追い求める
- ガイドを神聖視し、そのつながりに固執する
- 特定のメソッドや神や宗教や思想にとらわれてしまう
それは寄り道にすぎず、少し成長した成果がサイキックという形で表れているだけなのかもしれません。
それは、長く続く階段を何段か上がっただけの違いしかないことかもしれないのです
【特別】の世界には
- 特別なメソッド、教え
- 特別なヒーリングやリーディング
- 特別な先生や師や仲間やグループ
- 特別な力、知識を持つ自分
- 特別な守護霊・特別な神
- 特別な前世
- 特別な道具、特別なサプリ、特別な水
- 特別な民族、国
- 特別な家族、血筋
的な様々な【特別】なヴァリエーションがあるように思います。
往々にして、それら特別な何かに属する人たちは、無意識でも自分たちのやっていることこそが最も正しい、最も素晴らしい、と考える傾向もある感じだったりもします。
けれども、その時点ですでに、自分たちは上で、他の人たちは下という分離の状態、上下関係をつくる二元性の価値観の中にはいるという罠に陥っているのです。
そして、何よりも、そのような視点だと、多様性という視点を持つことが難しくなります。
一つの考え方に凝り固まってしまうと、それはもう成長をやめて、保守化の中に入り、信念を抱えている状態となるので
さらなる成長は難しくなるのです。
私はヒーリングやボディワークや非物質探索に関して多くのメソッドに首を突っ込んでみますが、様々なメソッドの根源的な部分は共通で、どこかがつながっていて、全体を総合してみたときにより大きな像が見えてくるときも多いのです。
だから、特別意識を持ってしまうというのは、可能性を狭める非常にもったいない行動にも思えるのです。
同時に、特別なものを求めるということは、他と違う自分を求めていることに他ならず。
それは、すなわち、他者と自分、という分離の始まりとなるわけで。
よく、スピ系の集まりで…
あなたと私はエジプトで一緒だった
とか
私たちはアトランティスの滅亡の時に一緒にそれを阻止しようと働いていた仲間だった
とか
あの時、あの人は師で私たちは生徒だった…
とか、そんな感じの話題が上がることがあります。
私自身はたとえそれがわかっても、セッションやワークショップの時にそれを話すことはありません。
なぜかというと、それがグループを作り出す、特別感の演出になるからです。
あなたと私は特別、的なものを作り出すことには意味はありません
多分、特別な関係だったのでしょう。
そして、今、再び出会っている。
でも、今は別の人生を歩いている。
別に前世を持ち出さなくてもいいと思う。
単に気が合うとかそんなのでかまわないと思う。
多分、スピリチュアルな学びの中で出会う人なのだから、より強いご縁があるのは当たり前のように思います。
でも、何千、何万もの転生の中で、親兄弟、親戚、恋人、夫妻、子供、親友、その他、覚えているのが難しいほどで会う魂はたくさんあります…
人は人との比較の中で、自分は特別だって思いたいエゴがある
人は確かに特別です
でも、それと同じように他の人も同じように特別です
それを忘れてはいけないように思うのです。
【特別】にはまるのは、本当は魂の根源、愛から離れて、自分と他者、特別な何かとそれ以外のものという二元化を作り出すものでしかないのです。
この記事へのコメントはありません。