2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)
2020年8月24日葬儀手配…
母を預けていた介護施設に到着した時には、母は亡くなってすでに4時間程度経っていました。
そのため、すでに体は冷たくなっていたし
亡くなった後の処置はほとんど終わって、霊安室のベットに横になっていました。
その部屋は、おそらく施設で亡くなった方を葬儀社に引き取ってもらうまで安置する部屋なのだと思うのですが
病室のような、ベットのある安置所と
その横に畳の和室があって、テレビもあり
家族と亡くなった人がしばらく一緒に過ごせるような感じになっていました。
それから、仕事が終わってから、急いで駆けつけた姉が到着するまで、21時前頃まで待っていたのですが
全員が揃ったところで、施設の職員の方々がお別れのあいさつに来ていただいて
施設から紹介された葬儀社の葬儀場まで移動をしました
葬儀場は、車で10分ほどの距離にあって
葬儀もできる霊安所と1LDKの宿泊設備も備えたもので
私と姉の一人は子供たちとホテルに泊まりましたが、叔母と姉一人は葬儀場の宿泊所に泊まることになりました
翌朝、葬儀社の方が見えられて、詳しい葬儀の契約をしたのですが
法律上、死後24時間は火葬はできないので
暦では、葬儀ができる日というのが、友引で
さすがに仏滅とか友引に火葬は…
ということで、一日、間を開けることになりました
あまりに急いで家を出たので、全員、着替えが足りなかったり
喪服の準備もしていなくて
喪服代わりの服を買ったりしたかったというのもあります
葬儀自体は、自宅の近くで改めて母の友人などを集めて、お別れの会という形で開こうということで
山形では、身内だけの質素なもの、荼毘に付すのみで済ませようという方針に
しかし、読経だけはお願いしようという希望で、葬儀社にお願いしたのですが
山形(酒田)では、檀家以外には、お坊さんは来てくれないという話で唖然としました
新型コロナのせいなのか
それとも、非常にお寺が閉鎖的なのかわからないのですが
私が住んでいる地域(千葉県U市)や、大阪では、檀家でなくても、お葬式の際に、お坊さんが直前にお願いしても来てくれたので
それが当たり前だと思っていたのです
実は言うと、菩提寺というんでしょうかね
それが我が家はない
我が家は、福島のいわきにお墓があって
墓を管理していたお寺が曹洞宗だったので、そこに管理はお願いしていたけれど
家は真言宗なのです
その墓を、震災の後、今住んでいる家の近くに移したので
お墓を管理していた福島のお寺とも縁は切れていました
現在の霊園は市営で、霊園から各宗派のお坊さんを手配してくれるので
どこに属することもない状態でも滞りなく、すべてが進んだわけなのです
首都圏の常識と
地方の慣習というのでしょうか
これはまったく解離してる、と実感したわけです
母は信心深い人ではなかったので、絶対的にお坊さんにお経をあげてもらわないといけないと考える人ではありませんでしたし
私の家族は無宗教ですが、それでも、気持ちの上で、火葬という形、今まで生きていた体を燃やしてしまう
それを前に、お経をあげてもらうということをしたいと思うのは
しみついてしまった日本人の宗教的な信念かもしれませんが
それがどうやってもできない、という状況に本当に衝撃を受けました。
けれども、葬儀会社を通して、こういう地方のお寺の話を聞くと
近頃、お寺のなかには経営が厳しいところが増えている、というのもわかる気がしたのです
旧態依然とした
保守的なあり方で
古い価値観を守っている
そんなところは、歴史があって由緒正しいお寺ならばともかく
高齢化が進んで、子供が減って行き
家を継ぐものが先細りになってゆきがちな日本の社会のなかでは
生き残りが難しくなってゆくのではないかとも思うのです
以前聞いたお坊さん自身の話では
法事や葬式でお経をあげることで稼ぐ読経屋というのもいるそうですが
生きている人のために活動する志のあるお坊さんもいて
お坊さんの世界でも二分化しているとか。
ブルース・モーエン・メソッドをやっていると
地方の方のお話で、【先祖供養】の話とか、【お墓を守る子孫を残すこと】とか【家の存続】のことで、重圧を感じたり、悩まれるかたも多いのですが
親族や地方社会の圧力は強いのだろうし
【こうでなくてはいけない】【こうあるべき】という縛りが強いことは簡単に想像できたりするわけです
実際、少し変わったことをすると、地域的にあれこれ影口を言われるという話を何名ものかたから聞いてもいます
この辺りのことは、将来的に日本では、さまざまな問題として浮上しやすいことなのかもしれないのでしょう
わたしなどは、葬式も要らないし
散骨か樹木葬でよいと思っていますが
それすらも、地方では変わり者とみられるのかもしれないと感じたり。
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