2021年のグリーフケア・アドバイザー1級取得にあたり、私自身が2020年8月末に母の突然の死を経験し、そのグリーフを抱えたままであったということがありました。
2020年7月8日朝、ゴミ出しで外に出て、転倒し、頭蓋骨骨折とくも膜下出血で緊急搬送され、1か月半の闘病生活ののち、享年87歳で亡くなりました。
Covidー19下。
その記録と私自身の心の動き、私の周りで起こっていたことなどを記録しています
(アメブロにリアルタイムで公開した日記を修正、内容に手を加えたうえで投稿しています)
2020年7月10日Going Homeを用意する
この日、母は救急救命病棟から、一般病棟に移った。
呼吸が少し苦しそうだったり
数日前までは元気に普通に話していた人が、昏睡状態になっている
それを見るのが、その場では泣くのはなかったのだけれど
自宅に帰って、今、寝ようとしていると、前と今のギャップの違いが切なくて
涙がじわりと出てきそう
そして、子供たちである私たちが順番に声をかけたのだけれど
声を聞くとなぜだか手足が動く
脳の状態をCT検査の結果で聞いた限り、どこまで認識ができるのかまったくわからない
(できてない可能性も高い)
①音が聞こえていない、偶然
②音は聞こえていて動物的に反応しているだけで、声と認識できない
③声を聞いてはいるが、誰の声かも、意味もわからない、理解できない
④声を聞いていて、誰の声かは理解できるが、内容までは理解できない
⑤声を聞いていて、誰の声か、なにを言っているか理解できる。何かを伝えたい
様々なレベルが想像できる
②以上なのかもしれないと思うけれど
どこにいるのかわからない
切ない。
今、もしも、誰かに伝えたいことがあるのに
言わなくても相手には伝わっているはずだと思い込んでいて、言葉で伝えてない人
言うのが恥ずかしかったり、自尊心からできない
そんな人は、思い直した方がいい
いうことで、なにかが減るわけじゃない。
むしろ、言わないことが、何かを減らしてしまうのかもしれない
それを伝えたいと思ったときに、その人はもうそれを聞けない状態になってしまっているかもしれないから。
自分の本心を隠すこと
自分を偽ること
それを大切な人のまえでやっても意味はない
本当はいつでも、自分がオープンでいること
それが思いを残すことが少なくなる道なのかもしれない
私はこの数日で母がなくなる感じはしてなくて
来週が少しまずいかもしれないと思っているのとそれを越えたら
もしかすると、意識のないまま長期戦になるのかもしれない
とも、思っている。
母のエネルギーはまだ落ちてなかったから。
だけど、また、それを関知しちゃうと
人がなくなるときだけわかるのって、なんかイヤな能力だと自己嫌悪になりそう…。
2012年頃、亡くなった方の意識の領域にアクセスする方法として、ヘミシンクのGoing Homeを勧められた
回復することが難しい病にかかった人の死への恐れを軽減させ、心の平安をもって体を離れることができるようにするのが目的のCD
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最初の頃、これを聞いて、Focus27に行くのを練習していた
その後、ブルース・モーエン・メソッドを始めて、ヘミシンクがなくても簡単に行けるようになったし
(寝落ちもしない😁)
時間の経過と共に、ヘミシンクを聞くのが苦痛になるように
その件に関して、ブルースさんに質問をしたが、答えは
『なぜ、ヘミシンクを聞く必要があるの?
聞かなくてもできるのだから、必要がないのでは?
ヘミシンクというのは、段階を追ってある領域に導いて行くけれど
その手順は、必要ない
一瞬で目的地に行くことができる人間にとっては、その長い時間を使ってそこに誘導されるのはまだるっこしいだろう
また、音を使うことによって、強制的に、ある意識の領域につれて行き、そこに留める
それはいうならば、あなたの意識を、箱に詰め込んで型にはめるようなものだ
(しばらくじっと私を見て)
あなたを見てみると、今ここにいるあなたは、同時に他の次元に、いくつも自分を送り込んで
そこと繋がっている
あなたの魂は自由だから、そういう型にはめるようなことは、足かせをつけられているように感じるのかもしれない
ヘミシンクには向き不向きがある』
というような回答を得た
以降、メタミュージックはよく聞いていたけれど
誘導のはいるヘミシンクのほとんどのタイトルに不快感を感じるようにまでなってしまい
ヘミシンクを聞くのをやめてしまった
今回、母のこともあり
このCDを改めて入手した
以前、なくなったあとでも、魂は体とのつながりがあるので
心臓が停止して、亡くなってしまった後でも
Going homeの別世界の旅立を聞かせることであちらの世界へスムーズに移行するための手助けになるのだと聞いたことがある
(BMトレーナーとしては、死後、自分でコンタクトし、リトリーバルもできるとは思っているけれど
自力で心穏やかに行けるのがよいのかなとも思う)
実際どうなのかはわからないけれども。
もしもの時のために、そんな準備を進めている自分がいた。
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